素敵スポット

水俣病資料館は本当に面白かった。
おもしろ資料を見て感じたこと。

  1. チッソを非難する旗を掲げた人々の写真。

 チッソの責任と言うけれども。
チッソで働いた人も、
魚を捕っていた漁師も、
チッソの重役も
子供に魚を食べさせた親も
ほとんどの人がなんかおかしいとは感じたやろう。
お前らかってホンマは気づいてたはずや。

 でもだからって、自分の生活基盤を捨てることは
とても難しいのだろう、きっと僕も彼らの立場なら出来なかった。

  1. ろれつの回らない患者の映像

 彼女の表情はおどけて見えた。
苦しみを伝える手段まで奪われて、
ひょっとすると苦しみを伝えたい人々からも疎外されたかも知れない。
僕が少しだけわかったつもりになろうと思った。

  1. 中学生の集団

 どこにでも行けるつもりの彼らには、
どこへも行けなかった大人の苦しみが伝わるには、
まだまだ掛かるのだろうと思う。
 しかし私も心は生涯中学生のつもりなので、
本当のところよくわからない。

  1. 当時の生活資料

魚が主食でご飯が副食だったらしい。
すごい。
海鮮ご飯丼。

  1. 「直径約50cmの銀色の球体」@水俣メモリアル

 球体の中には病床で苦しんだ彼や
人から愛され幸福な彼が同時に存在していた。