19日以来旅に出ていてやっと帰ってきた。
旅と言っても実際にどこへ行ったわけでもなく。
人間関係のいざこざに巻き込まれて、何が本当の事かわからなくなるという結構大変なものだった。

その中で僕はなるべく自分に厳しい解釈をしようと思って。と言うのも人間はおこった様々な出来事に対し自分に優しい意味づけするのが常。実際、今回何が本当かわからなくなったのも、私の認識と出てくる発言の描く世界が違うだけでは無く、同じ人が描いた世界が話している間に少しずつ形を描き変えられて行くのを目の当たりにしたことがきっかけだった。

僕は真実を知らなければ空転する怒りで自家中毒になりそうだった。怒りは空転する。責められたら話しに細工をして少しずつ描く世界を変えてゆけばよい。怒りにはしかかりしたリアリティーが必要だから。相手の立っているリアルの土台が実は不安定だと思い知らせればよい。僕はそういうのが大嫌いだ。とても怒る。しかしどこに向けたらよいのかわからなくなってしまう。

結局のところ僕が得た最も妥当と思われる解釈は僕が最初に抱いた自分に優しい解釈とほとんど変わりは無かった。

僕が今回の旅でいろんな事を学んだのは。
1秘密というものの魅力と危険だ。脳にウィルスの入った自分の子供の命を救うために医療研究している間に、病気の秘密を探るために子供の頭をハンマーで叩き割ってしまう親が続出ってな妄想をしてしまう。回りくどい言い方だ。「秘密」を知ることは容易に手段の目的化につながるってこと。
2推論をめぐらせるよりもなるべく多くの人と話すこと。今回推論をめぐらすのが楽しすぎて妄想が膨らみこれはいかんと思った。事実を集めていると外界の刺激が現実に戻してくれる。
3推論や解釈と事実をしっかり区別すること。「aさんがbさんを嫌い」とかは解釈なので、そのような判断を下すきっかけとなった出来事を探す。
4厳密さを求めない。特に人の心の問題について。裁判では良くあるようだけど。「その時君は妻を愛していなかったはずだ。なぜなら君は妻の誕生日を忘れたし。靴下を洗濯に出すときいつも裏返しで出していただろう。他にも君は同僚に妻の愚痴を漏らしていたそうじゃないか・・・。」てな風。裁判官でないのだから。こんな具合ではみんな逃げていく。
いろんな人に迷惑をかけたかも知れないけどとても助かりました。ありがとう。特にphaは歴史を書く役人みたいな位置付けを僕が勝手にしてしまい。と言ってもphaがものを書くわけでなく、僕が自分で考えているだけではなんにもならなくて、phaに語ることでやっと事実となるっていうような感覚。とても助けになった。phaがいなかったら僕はとんでもなくなっていたかも。本当のことを知るというのは歴史を書くのに似て、自分を納得させる解釈を作り上げるということが骨身に沁みてわかった。